節  句

 四季が美しく移り行くわが国日本には、気候の変わり目を「節日(せつじつ)」といい、行事を行ったり神様にお供え物をして祝ってきました。

 この節日のお供え物を「御節供(おせちく)」といっていましたが、今では“お節”と略してお正月に食べる料理のことを指すようになり、いつしか、この“節日”と“御節供”を合わせて「節句(せっく)」というように変わっていきました。

 「節句」と聞くと、何を思い出しますか?
 “桃の節句”とか“端午の節句”ではないでしょうか。
 ご存知の方も多いかもしれませんが、大きく「五節句」に分かれ、馴染みのあるもの、ないものがあります。
 まず、1月7日を“人日(じんじつ)の節句”、3月3日を“上巳(じょうみ)の節句”一般的には“桃の節句”、5月5日を“端午の節句”、7月7日を“七夕(しちせき=たなばた)の節句”、9月9日を“重陽(ちょうよう)の節句”といいます。
全部ご存知でしたか?

1月7日 人日の節句

 “七草の節句”とも呼ばれ、唯一他の四節句が同じ数字が並ぶ日になっているのとは違っています。
 この日は、お正月から行われる新年行事がひと段落ついて七草粥を食べる日としてよく知られていますが、この日が節句だということをご存知の方は少ないのではないかと思います。
 読んで字のとおり「人日」とは“人の日”のことで、中国の前漢時代(BC202年〜AD24年)漢の武帝の家臣 東方朔(とうぼうさく)が記した占いの書に、吉凶を占ったことが書かれており、7日の人の日に邪気を祓う為に、初春の野から摘んできた野草の生命力を食し、一年の無事を祈ったといわれています。
 旧暦ではお正月は現在の2月頃でした。まだ寒さ厳しい頃ながら、陽射しに春を感じはじめる時期です。

3月3日 上巳の節句

 現在「桃の節句」や“ひな祭り”と呼ぶことが一般的です。
 上巳とは陰暦3月の最初の“巳の日”のことです。
 中国で3月上巳の日に生まれた女の子がすぐに亡くなったので、それを忌み、川で沐浴をして禊(みそぎ)をした行事が、川のほとりで災厄を祓う行事へと受け継がれていきました。
 日本では古来、草や紙で作った「人形(ひとがた)」を身代わりに、災厄をうつして川や海にそれを流し、巳の日祓いを行っていました。それが平安時代に宮中で行われていた「ひいな遊び」といわれた人形遊びと「ひとがた」が自然に結びついて今の「ひな祭り」になったといわれています。
 3月3日のひな祭りは、1629年の京都の御所でとても盛大なお祭りが執り行われ、それに続いて幕府や大奥でもひな祭りを行うようになり、次第に女の子の成長を喜ぶお祭りとして庶民に広がっていきました。

5月5日 端午の節句

 始まりは、今から約2300年ほど前に中国の楚(そ)の国の王の側近に屈原(くつげん)(紀元前340年頃〜紀元前278年頃)という政治家の死を悼んだことからだといわれています。
 日本の端午の節句は奈良時代から続く行事です。
 端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、5月に限ったものではありませんでしたが、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて5月5日を端午の節句としたとも伝えられています。
 当時の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄を避けるための行事として、薬草を摘み、蘭を入れた湯を浴びたり、菖蒲を浸したお酒を飲んだりという風習がありました。
 時代が武家社会に移るにつれ、これまでの風習が廃れ、代わりに「菖蒲」と「尚武(武士を尊ぶ)」をかけた尚武の節句へと移っていきます。この流れを受け、江戸時代には徳川幕府の重要な式日が5月5日と定められ、大名や旗本が式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるようになりました。また、将軍に男の子が生まれると、玄関前に馬印(うまじるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。こうして時代と共に男の子の誕生と成長を祝う行事へとなっていきました。

7月7日 七夕の節句

 天の川を挟んで煌く牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)の物語は、今から2000年前から中国に伝わる伝説で、星に技芸の上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」という宮中行事が七夕の元になっています。
 また、日本の古事記に、天から降り立つ神様に機(はた)で織った布をおさめて病気や災厄を祓う願いをしたという「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説が記され、7月7日(しちせき)を“たなばた”と呼ぶようになりました。
 この2つがうまく融合したことで、七夕は今でも日本の各地に様々な形で伝えられています。

9月9日 重陽の節句

 今はあまり行われない節句ですが、菊に長寿を祈る日です。
 中国では、「九」は縁起のいい数とされています。9月9日という奇数の一番大きな数字の“9”が重なる日であり、さらに奇数は陰陽でいうところの“陽”の数字とされ、それが重なる日「重陽」といわれています。菊の香りを移した菊酒で長寿を願い、邪気を祓う風習がありました。それは、宮中の身分の高い人達の間のもので、中国から渡来してきたばかりの珍しい菊の花を鑑賞しながら詩歌を詠み、長寿を祈った「観菊の宴」が開かれていました。
 江戸時代には高貴な身分の人々から広く庶民にまで広がり、五節句の最後を締める意味としてもとても盛んな節句だったといわれています。
 残念ながら日本では明治に入り、このような重陽の節句の行事は一般的に行われなくなりましたが、「菊合(きくあわせ)」という菊の展覧会のようなものの名残で、現在でも、菊のコンクールや鑑賞を行う風習は残っています。
 九州限定の話ですが、九州ではお祭りのことを「くんち」といいます。この呼び方は「9日」のことを指しているといわれており、「長崎くんち」や「唐津くんち」は元々9月9日に行われていました。

日本には、これら五節句以外に、暦を、春分を基準に24に分けた節句があります。

立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒

節句だから何かをしなければいけないというのではありませんが、日本の美しい四季と言葉を合わせて思い起こしてみるのも一興かと思います。